クリスの家へ着いたときには辺りはすっかり暗くなり、家の明かりが見えたときにはほっと胸を撫で下ろした。しかし、その安心は驚きに変わってしまう。
「どうぞ、ここが私の家です」
 クリスは促すように背中を押したが、道太郎は動かなかった。
「どうかしました?さぁ、お入りになってくださいな」
 不思議そうにルーベルが言うと呆然としている。ラルカイムが顔を覗き込んでみると、顔中汗まみれで微妙に震えている。
 無理もない。ネイ地区の文化は日本の文化と異なり、道場より大きく立派なというよりか、むしろ純和風の建物以外を見たことが一度もなかった道太郎は、想像もしていないものに対して、訳も分からず。いや、これが「家」だという事に驚いた。
 クリスの家は飾りのない白壁で、汚れと傷が見当たらない。正面にはぽっかりと穴が空いてあり、そこが玄関のようだ。そして何と言っても巨大である。高さは優に道太郎の5倍はあるが、横幅は大人3人分しかない。しかし玄関からは召使いがクリス達の帰りを今か今かと待ち構えている。それは1人や2人ではない。道太郎のことなどお構いなしに何十人という召使いがクリス達の帰りを待ち構えているのだ。
 道太郎の反応に3人は笑ってしまったが、一つ咳をしてから、
「それでは、私達は他に行く場所があるので。ごゆっくり」
 そう言うとクリスとルーベルは先に屋敷の中へ入ってしまった。もう姿は見えない。
「道太郎様とラルカイム様は此方へ」
 召使いの一人がそう言ったような気がした。ラルカイムが返事をすると、固まったままの道太郎を無理やり押しながら連れて行った。

「この部屋です」
 召使いが案内した部屋は、木製の机と椅子に棚とベッドと、質素な部屋であるが、どれも最高級の素材が使われていた。机の上には桃色の花が活けてあった。その隣には何やら仏像のようなものが置いてある。
 口をポッカリと開け、目が点になった道太郎に対し、ラルカイムは「うわぁ〜」と思わず声を発した。そんな2人の後ろから召使いのリエールは道太郎を押してきた疲れを感じつつ話しかけた。
「あのー、私はお2人のお世話係を務めさせていただきます、リエールと申します。宜しくお願いします」
 リエールはクリスのように耳が長く、白い肌で全体的にふわりとした感じの洋服を着ている。長い髪を1つに結んだ赤いリボンが印象的な女性である。
 丁寧にお辞儀をすると、耳にかけた髪が落ちてしまったが毎度のことなのか、気にせず続けて、
「御用がございましたら、その鈴を鳴らしてください。すぐに来ますので。それでは失礼します」
 リエールが出ていってからラルカイムは少し考えた後、道太郎の目の前で跳ねながら話しかけた。
「凄く綺麗で気持ちよさそうな部屋だよ!ねーねー、いつまでボーっとしてるの?」
「・・・」
 道太郎の表情に変化はなく、瞬きもしない。
「ちぇー、答えてくれてもいいのにー!せっかく連れてきた理由を話そうと思ったのに〜」

 ピクッ

「なぁんだってぇぇぇ?!!」
「うわぁっ!」
 突然地響きのような声を出した道太郎に驚いたラルカイムは、後ろにひっくり返ってしまった。



 一方、何かを思い出したように手を叩いたクリスは、
「そういえば、なぜ貴方があれだけ言ったのに迎えに来たか当ててもいい?ナーディエルでしょ」
 覗きこむように顔を見ると、ルーベルはドキッとして俯きながら汗をかいている。
「ルーベルは嘘をついてもダメですよ。顔に出てしまっているわ。さぁ、話して」
「そ、そうですね。隠すことではありませんから」
 閉じていたルーベルの口が開いた。


『ルーベル!』
 呼ばれて振り返ると、そこには同じくクリスの部下であり、ネイ地区守護隊長のナーディエルが鎧で固めた体とは思えないほど速い速度で向かってきた。
『クリス様は、クリス様はどこに居られる!』
 ルーベルの肩を掴むと激しく揺らす。
『ややや、やめてください!!クリス様は神の言葉が聞こえたと言って、ネイの泉へ向かわれました』
 焦った顔が一瞬にして怒りに変わる。
『なんだって!なぜお前は止めなかった。どうして付いていかなかったんだ』
 俯くルーベルにナーディエルは厳しく問い詰めた。ルーベルは自らの情けなさに涙しそうになっている。
『――っ!敵の気配はないのだから大丈夫だ。お前だって分かるだろう、それくらい。俺が恐れているのは、途中で倒れられて結界が弱ることだ。魔物やベールキルの連中は必ず大群を率いてやってくるぞ』
『・・・わかっています。わかっていますが、それじゃあクリス様は!――。何の得にもならない』
 この事はネイ地区にいる一握りの者しか知らない重要機密である。しかしナーディエル達など、最高峰の部下でも外部の者と触れ合う機会が多い者には伝えられていなかったはずなのだが――。今はそんなことを言っていられないほど、危機が迫っているのかもしれない。
 悪い予感が頭を過ぎり、居ても立ってもいられなくなったルーベルはクリスが駆けていった先に向かった。


「ということがありまして・・・」
「そう。もう、皆に」
 ルーベルの目に見えた表情は胸を突くほど痛々しく思え、胸を押さえた。
 クリス様には何も伝えられていない。しかし察してらっしゃる――
「大丈夫、ルーベル?顔色が悪いわよ」
「そ、そんなことありませんよ!私はこの通り元気過ぎて、こういう壁にぶつかりそうですよ。あははは!」
 無理やり笑顔をつくると、クリスのほうを向いて笑顔を見せた。
「大丈夫ならいいけど・・・あっ、ナーディエルはどこにいったのかしら?」
「いませんねぇ・・・きっと、もう寝ているのでしょう。遅いですし」

 この廊下を2人で歩きながら、クリスは何も考えないよう努力した。
 この廊下を2人で歩きながら、ルーベルはクリスが即位してからのネイ地区を思い出した。

 この女王が即位してからの500年のネイ地区は、干害も洪水もなく、敵が攻めてくる事も無い平穏な時間が流れている。それもこれも500年前に戦いは全て終わらせたから――終わらせたつもりだったから。
 もう敵味方、多くの犠牲者を出した戦いを覚えているのは神とエルフと各地の王だけだろう。
 そして参加し、生き残った者は全員、

 『時の枠から外れ、呪われた人生を背負わされた』

 クリス様もその一人。そして私は――。
この少女を救えるのは、悔しいが彼だけなのかもしれない。あの者たちの子供。
「――彼の名前、確か「道太郎」でしたよね」
「そうよ・・・少し、彼らに似ていたわ」
「そうですね」
 二人は騒がしい部屋の前を過ぎ、突き当りを左へ曲がり、外に出た。
 現れたのは大木。樹齢1000年はくだらないネイ地区の御神木である。辺りは静寂に満ちており、空気は冷ややかであったが、足早に近づくとクリスは身体を幹に預けるようにした。ルーベルは入り口で待っている。それがいつもの決まりであった。
「遅くなってすいません。――やっと見つけ出し、日の本より連れて参りました」
 朧な光が木を集まったかと思うと、一本の枝に集まり、分散したかと思えば、中から7、8歳くらいの少女が姿を現した。
「知っておる。わらわが直々に行ったからの」
 クリスは上半身を起こし、目線を少女に向けたが、それだけで精一杯だった。
「そうですか・・・少し驚かせたかったのですが」
 できるだけ平気そうに振舞おうとしたが、少女には全てお見通しであった。
「何をバカなことを言うか。冗談は後で言え。今はそなたの身体じゃ」
「そう、ですね」
 クリスの体はふわりと浮かび、うねる白い風に包まれ空を泳ぐ。枝に座る少女と同じ高さまで昇ると、少女は手をかざした。



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