竪琴の音色に誘われて

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第一章


 世は江戸時代。
 侍を目指す「道太郎」は朝早く土手を走っていた。彼は下っ端だが才能があり、あと数年修行すれば立派な侍として認められるだろうと周りの者は密かに話し合っていた。
 五週目にさしかかろうとしていたとき、急に足を止めた。顔中に汗をダラダラかいている。決して走ったから出た汗ではない。実は今日、道場へ行かねばならない日であったのだ。道太郎はすっかり忘れていたのである。体の向きを変え、さっきとは比べ物にならない速さで走っていった。

 道場の師範「田村正武」は道太郎がまだ来ていないことを知っていたが、先に来ていた門下生達の前で言った。
「皆よく聞きなさい。私、田村正武は再び戦へ向かうこととなった」
 その言葉に皆が動揺した。なぜならば田村は先の戦で右腕を失い、引退したばかりなのである。利き腕の右腕がない今、左腕で戦うなど到底無理だ。指揮官という道もあるが、田村は経験不足で必ず失敗するだろう。
 そんな空気が広がる中、戸が勢いよく開けられた。
「遅くなりまして、すいません!!」
 皆の視線が道太郎に注がれる。もちろん一番奥にいた田村も見る。わけが分からず、開けたままの体勢で止まる道太郎に田村が言った。
「しょうがないやつだ」

 この後、簡単な稽古だけで帰された。道太郎は一人残り、師範に事情を聞いた。聞く前もそうだが(空気で分かった)、聞いても尚、疑問が残る。師範は過去になにがあろうが今はこの道場の師範だ。戦とは関係ないはず。
「師範・・・本当に行くのですか?」
「あぁ、今回のはかなり厄介な相手らしくてな。人手が足りないそうだ」
 道太郎の顔はまだ心配している顔だった。
「お前は本当にしょうがないやつだ。俺の息子に似ている」
 驚いた顔で師範を見る道太郎の目は大きく見開かれていた。
「お子さん、いらっしゃったのですか?!」
「ははは! 俺だっているさ。もう二年も前に死んだがな」
 知らなかった。それに普段こんなに師範と話すことはめったにない。そのせいか師範がこんな性格だったなんてと思う。普段怒ってばかりだから。
「それじゃあ、俺帰ります。師範、くれぐれもお怪我に気をつけて」
「あぁ、お前もな」
 いつもより綺麗に戸を閉め、家へと足を進めた。



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