どこからか朝日が差し込んできても、布団に絡まりながら道太郎は天井を向いていた。

 不思議な金髪の少年、ラルカイム。
 あのとき、わけのわからない事を言って、田村師匠が来て、2人で話し合って……そして消えた。
 あれからラルカイムは姿を見せない。

「師匠……」
「何も、誰にも言うな。そこにいろ」
 刀を道太郎に渡し、肌身離さず持て。そう言ったきり出かけて帰ってこない。
 道太郎は未だ道場の奥の部屋で、刀をためしに腰にさしては天井のほうを向いて寝転んでいた。ここ数日、家には帰っていない。
 何気なく畳の目を数えていると、戸が開いた。
「道太郎、入るぞ」
 たまにこうして十郎が訪れてきてくれては牡丹餅を渡してくれる。
「どうだ? 怪我の調子は」
「安静にすれば治るさ」
 またこれも十郎には秘密のことである。ラルカイムのことも夢のことも。
 あぐらをかき、ひざ小僧をのぞかせ満面の笑みで話しかけてくる十郎。
「なあなあ、その怪我が治ったらよ。今度、桜を見に行こうぜ」
「そうだな」
「だろだろ? にぎり飯もってよ、2人で桜の木の下で食べるんだ。きっと美味いぞぉ!」
 その様子を思い浮かべているのか、十郎の目はきらきら輝いている。その様子を眺めながら道太郎の表情が、徐々に和らいでいっているのを十郎は見逃さなかった。
 それから十郎は、道太郎に色んな話をした。
 隣の家の犬が勝手にうちに入ってきて飯を食っていたとか、道場は師匠がいなくても自主的にみんなで稽古をしているとか、斜向かいの娘が可愛いとか………
「じゃあな、また明日な」
 牡丹餅を頬張りながら手を振る。
 こうしてまた、道太郎の一日が過ぎてゆく。こんな日常はいやじゃない。けど、激変するのは嫌だ。
 明日は少しだけ変わればいい。そう、きな粉餅とか。


 十郎が去った、次の日。
 昼光を浴びながら道太郎は瞑想をしていた。ずっと布団の中に入っているばかりでは心身ともに鈍るばかりである。この狭い部屋では素振りもできず、かといって部屋からは出られない。

 木にとまっていた雀が飛び去った。
 ふいに誰かに呼ばれた気がした。瞑想を解き、振り返るが戸があるだけで何も、誰もいない。疑問に思い、戸を開けようと手を伸ばした、そのとき、
『開けるな』
 戸の外で、そう聞こえたような気がし、手を止める。
『来るな、こっちへ来るなッ!』
 道場から爆音とともに叫び声が響いた。戸から離れると刀を鷲掴み、腰を屈め、目を瞑った。道場で何かが起こっている―――
『道太郎!』
 ハッと目を見開き戸を蹴破り部屋を飛び出そうと廊下に足を踏み出した時、目の前に広がる変化と足から伝わってくる感触に今起こっている出来事について理解した。
 廊下の真ん中で紅に染まった和装の男。手には血が染み付いた刀を持っている。その剣先には見覚えのある常盤色の少年が深紅の水溜りの中でうつぶせになって倒れていた。
「まだいやがったか。今頃出てきたってこたぁビビッ…ッ?!!」
 男の右耳が吹き飛び、血が噴き出る。その血は手でおさえても隙間から噴き出る。
「てめぇ、やりやがったなッ!」
 血が滴れ堕ちる刀を振り上げ道太郎へ向かっていったが、道太郎が刀を鞘から出した瞬間に崩れ落ちた。腹を掻っ切り、首を落とすと、道太郎が持っている刀も男の刀のようになっていた。
 鏡のように景色を映し、ガラスのような、この刀も、ひとたび振るえば獣と化していた。そして、振るう者も。
 道太郎は崩れ落ちた男の息の根が止まっていることを知っていても刀を止めなかった。返り血を全身に浴び、口元があがっても、道太郎はやめない。やめられない。頭の中で色んなことが回り続け全部が滅茶苦茶になりそうだったとき、深紅の水溜りに横たわっていた少年が仰向けになって震えながら口を開けた。
「ど…道た……ろぅ……」
 我に返った道太郎は刀についた血を飛ばしながら少年に駆け寄り、刀から血が滴れ落ち、刀も地面に落ちた。
「どうた」
 道太郎は少年を抱きしめた。そして搾り出すような声でこう言った。
「十郎」
 深紅の水溜りは十郎の腹から溢れ出ていた。道太郎の体を押し付けるが、止まらない。
「よかったぁ……道太郎が怪我してなくて。俺、……道太郎が怪我してなくて」
 両手を背中に、さらにきつく抱きしめる。十郎は虚ろな瞳で道太郎の顔を見て、空を見上げた。
「おれ、うれしいんだ」
 急に体の向きを変え、
「ハヤク逃ゲテ」
 吐血した十郎の腹からは銀色に光る刃が出ていた。
「クソッ、抜けねぇ」
 さっきと似たような男。男は道太郎を背後から襲おうと忍び寄っていたのだ。
「ハヤ…ク、ハ…ヤク……」
 消えてしまいそうな声を、道太郎は十郎の表情を見るだけで頭がいっぱいだった。全身の毛が逆立つような殺気と寒気が全身を覆い、道太郎は落ちている刀を飛び掴み、十郎を貫いた男をぶった切った。

 原形をとどめていない肉片を放り投げ、体から刀を抜いた。
「十郎……」
 体を揺する。目を閉じ、少し開いている口からは何も出ない。息さえも。十郎の体が震えだした。十郎抱きしめ道太郎は震えていた。震えがとまらず、涙も溢れた。
「道太郎」
 黒い着物を着た男が廊下の柱にもたれかかっていた。男は廊下の惨状を目にしても表情一つ変えず、道太郎に近づいていった。
「道太郎、俺だ。一緒に来い」
 その男は道太郎が握る血刀の一本を握ると血を振り落とした。こびりついた血が地面へ落ち、元の綺麗な刃が顔を出した。
「道太郎さん……ミルド国へ行きましょう。ここにいると要らぬ罪まで被ります」
 刀から白い服を着たラルカイムが出てきて道太郎の肩をたたいた。首だけ振り返った道太郎の目から赤く血のような涙が流れていた。二人の姿を見ると、震えながら口を開いた。
「十郎が……俺を、かば、って……」
 ラルカイムは俯き唇を噛んだ。
「思い出すな。はじめろ」
 俯いたまま口を動かしたラルカイムは足元に魔方陣を出現させ、呪文を言い終えた。

 騒ぎを聞きつけた者達が道場へ入ってきたとき、思わず鼻を押さえた。そこには武器も持たず絶命した少年や刀を持った大人が血を流しながら倒れていた。
 ここには、誰一人生きている者はいない。



『今日こそ勝つからな! 覚悟しろよ!』
『どうしたんだよ、十郎?』
『一緒に桜を見るまでに、道場一強いおまえを倒して俺が最強になるんだ! だっておまえ、怪我治ってんだろ? 俺にはわかるんだぜ。だから今日こそ引っ張り出して一緒に稽古するぞ!』
『そんな無茶な……万全でない俺を倒して何か得でもあるのか?』
『うっ……でもよぉ……道太郎』


「十郎……」

『道太郎!』
 眩しい笑顔が脳裏に浮かぶ。






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