人の命など、壮大だが、儚く脆い―――

 

 

 樹齢百年を超える木々がうっそうと茂り、鳥は追いかけまわり、人々はクワを振り上げる。虫はゆっくり空を見上げ、妖精に挨拶した。

 そんな風景とは異なった男が一人、白い柱が立て並ぶ宮殿を歩いていた。厚い鎧から音を鳴らしながら歩き続け、中央にある中庭で足を止めた。

「おーい、ラル!」

 ラルカイムは呼ばれても噴水の脇に座ったまま、水を触っては魚にエサを与えていた。そんな様子に、男はズカズカと草を踏みつけながらラルカイムに近づいた。

「探したぞ。おい、あの噂は本当なのか? マオナール様が戻られた……って、おい、聞いてるのか?!」

 肩をつかまれ無理やり目線を合わされる。今まで水を触っていた手は膝の上に置かれ、一瞬合った目線は再び変えられる。その態度に怒りを覚えた男は両手で力強く肩をつかんで揺さぶった。

 首が揺さぶられる速度とずれていたが、ラルカイムは表情が暗いまま、一言も発しない。若葉のような碧玉の瞳を暗くし、揺さぶられるたびに遠くを見つめていた。男はその瞳を見た瞬間、手を止め、ゆっくり放した。

「……なぁ、ゆっくり、話してくれよ」

 ラルカイムは目線を変えず、ゆっくり頷いた。そして、重い口を開いた。

 

「マオナール様の生まれ変わり、道太郎は、とても……脆いんだ。能力も知識も、前と比べられないくらい無で、幼くて……あの姿を見たら、クリス様に報告できないッ!」

 両手で顔を覆い、声をあげて泣いた。男はラルカイムに向かって何かを言い出そうとしたが、最初の一言を発しただけで呑み込んでしまった。ただ、男はラルカイムの隣に座り、できるだけ綺麗な笑顔をつくって、ラルカイムに見せた。

 がしかし、そんな表情すぐに見破られた。

「ミレーティア様は嘘をつかない、だから、僕は信用して迎えにいったのに。シュウ様も一足先にいっていたのに……」

 顔を覆ったまま言葉を発し、しかも泣きながらだったので最後のほうは聞き取りにくかったが、男はそっとラルカイムの肩に手をやり、笑いながら、

「おまえ、泣くんだな」

 予想外の言葉に目を見開いたラルカイム。ぷっと笑い、涙を拭う。

「ナーディエルったら、そんな……僕だって泣くんだよ!」

「そうそう、おまえはそうやっていつも笑ってる。な?」

 ラルカイムは元気良く頷いた。

 

 宮殿を支える太くて白い柱。そこにもたれかかる漆黒の和装の男。2人の様子を見て、口元が緩んだ。その男の姿を見つけ、ラルカイムは叫んだ。

「あっ! シュウ様だ! こっちに来て喋りましょうよ!」

 シュウと呼ばれた男はさらに目元まで緩ませ、頭をかきながら2人の元へ向かった。

「おまえらが元気になってよかったぜ。特にラルカイム。おまえが暗いと天変地異が起こりそうだ」

「違いねぇ!」

 どっと笑う3人。特にシュウは、どこか照れながら笑っていた。

「シュウと呼ばれるのも、ひさしぶり…だな」

「どうしたんです?」

 頭を横に振り、口を大きく開けて笑った。

 

 中庭で3人が笑っている声が、廊下に響き、厨房に響き、大広場にまで響いていた。しかし、3階の客間にだけは響いていなかった。扉と窓を硬く閉め、窓からは中庭が見える。室内では1人の男の膝に、もう1人の男の頭がのせてあり、2人は目を閉じていた。

 膝に頭をのせている男が、虚ろな目で話しかけた。

「十郎……」

 冷たく重い頭と体の一部を膝にのせ、ずっと見つめる。まるで石像のように動かず、時々口を動かしては言葉を発していた。この部屋には誰も尋ねてこない。もし尋ねてきたとしても、扉を開けることはなく、破るしか方法はないだろう。

 この部屋の中だけは、世界が終わったかのようだった。

 

 

『死体を抱きかかえる生者は、暗闇に満ちた部屋で時を向かえる。それは生か死か。わからない』

「……確か、それは」

『500年の時を越え、舞い戻ってきた英雄は身も心も、古城のように朽ち果てる寸前―――』

 白髪の女は詠われた書を聞き、今まで閉じていた目を開いた。

「ミルドの書の、一文………おまえ、まさか」

「そのまさかです。私には、わかる」

 樹齢百年以上の大木の根元に手をあて、確信をもって言った。白髪の女は一瞬、表情を曇らせたが、ため息をついて再び根元に手をあてる女を見た。

 まるで、遠くの昔を思い出しているかのように、目尻に涙をためていた。

「クリス……。あなたは大きくなったのだ。昔とは違うのだよ? 状況が……多少時間がいるものが、もっと時間を必要になっただけ」

「ミレーティア様……」

 クリスはミレーティアが地に水をささげた仕草を見逃さなかった。その雫は地にしみこみ潤した。

「時が経てば、変わるでしょう……あなたはその事を知っているはず」

 風が吹いた。髪を大きくなびかせ、草をふるわせ、木を揺らした。やがてその風は宮殿まで届き、窓を揺らした。

 

 道太郎は、顔をあげた。








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